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高田渡の歌「漣」の原詩作者、詩人・高木護さんのこと

高田渡の歌「漣」の原詩作者、詩人・高木護さんのこと

☆ 小生にとっての新年早々の慶事は、なんと言っても詩人の高木護さんにお会いできたことだった。大変失礼な話だが、高齢の方と仄聞していたからすでに故人なのかなと半ば諦めていたので、お元気な様子でお会いできたことがなんとも嬉しかった。さて、高木護さんは、どんな詩人なのか。今回の「シティライツノート」はページ数が少なく、ご紹介できなかったので、この場で、その横顔だけでもお伝えしておこう。
☆ 高木護さんは一九二七年、熊本県生まれ。一四〜五歳のころ、丸善書店博多支店の店員として就職、詩や小説など文学作品に親しむことに目覚めた。戦争中は南方で兵役に服し、熱病に倒れ危篤状態に陥ったために死体収容室に放置されるに至ったが、奇跡的に生還したという。戦地から無事故国に帰還できたものの、熱病の後遺症にたたられて定職には就きそこなった。山番・伐採手伝い・日雇い土方・炭焼き・闇市場番人・トラック助手・ちゃんばら劇団の斬られ役・古着屋の手伝い・商人宿の番頭・飯場の人夫・沖仲仕・コークス拾い・占い師・ニセ坊さん・密造酒売り・うどん屋の手伝い等々、百数十種余の職業を転々とした。こうした職業遍歴の合間をぬい、高木さんは九州の各地を渡り歩き、野山や土管の中で野宿するという放浪の旅――彼の言葉でいえば「ぶらぶら歩き」を続けてきた。そんな高木護さんの「生活の柄」こそが、異彩の漂白詩人として知る人ぞ知る存在となっている土壌だったのである。
☆ また、経歴を見ると、高木護は、谷川雁・森崎和江・松永伍一・川崎洋といった面々と共に、一九五〇年代から六〇年代にかけて九州久留米で丸山豊が主宰していた伝説的な詩の同人誌「母音」のメンバーでもあったことも注目に値する。それともうひとつ運命の赤い糸のようなものを感じたのは、高木護の本を一社で十点近く出版している未来社の創業社長西谷能雄という人が、高田豊が戦前京都の出版社弘文堂に勤めていたころの同僚だったということだった。こんなところにも高田渡との奇縁を思わないわけにはいかない。
☆ 高木護さんの短い詩をひとつ紹介しておこう。詩集『天に近い一本の木』所収の「どぶ川」と題した詩です。

家の前を
どぶ川が流れている
親子四人
一汁一菜
志をひくくして 
ゆめもなく
一日を生きながらえ
灯を消して
眠りにつく 
どぶ川は
夜明け方までせせらぎになる 

(文・本間健彦 『街から』104号編集後記より)

日時: 2010年02月12日 12:35