草森紳一さんの散骨式と「高田渡誕生会60」
☆三月十九日(木)草森紳一の一周忌、散骨式があり出かけた。一年前のお別れの会ではドラマチックな事が起きた。「おれは一生結婚なんかしないよ」と友人・知人にうそぶいていた草森さんに、じつは伴侶が居て、息子と娘、二人の成人した子供までいたってことが、会の終りの遺族の挨拶の際に披露されたからだった。その時、会場はドッとどよめいた。草森さんと親しい友人・知人たちもその事実を誰も知らなかったからだ。そんなわけで一瞬仰天したものの思えばいかにも草森さんらしい<お別れの会>だなあと妙に感心したものだった。今回の散骨式は遺族の御三方の主催で行われた。浜離宮の横合いの船付場から貸切の遊覧船に乗船すると、すぐに隅田川に出た。参列者は三十人ほどで元話の特集編集長の矢崎泰久さんや詩人の高橋睦郎さんの顔も見えた。草森さんの伴侶東海晴美さんが挨拶し散骨することになった経緯や散骨の手順を説明された。「昨晩、娘と二人で草森の骨をすり鉢にれ、擂り粉木でガリガリと粉にしました。女って凄いでしょ。」と笑顔でのユーモアたっぷりの挨拶だったが、やっぱり目が潤んでおられた。富山の薬のような小さな紙包みに入った草森さんの骨が参列者に配られた。そっと紙包みを開いてみたら、ちょっと茶褐色の草森さんの骨が粉薬みたいに収まっていた。船は草森さんが長年暮らした永代橋の袂のマンションが見える地点まで遡り、それから迂回し河口に向かい、レインボーブリッジをくぐり、お台場を廻って帰港するというコースで航行した。その間に参列者はそれぞれ好きな所で散骨をし、お別れするという趣向だった。天気の良い暖かい日で、参列者たちは散骨を済ませると、ビールや冷酒のカップを手にしてデッキに立ち“散骨クルージング”を愉しんだ。下船の際、忘れな草の小鉢を戴いた。草森さんが好きな花だったとか・・・・。人は死んだ後に分かる真実も少なくないなあと思ったりした。
☆四月四日(土)「高田渡生誕会60」と題したコンサートが三鷹の武蔵野市民文化会館で開かれた。四年前に高田渡が亡くなった年の翌年から歌仲間たちが高田渡を偲んで毎年一回催してきたコンサートで、今年度のコンサート名称を「高田渡生誕会60」としたのは、生きていたら、高田渡は今年六十歳の還暦を迎えるはずだったからだという。今回も三十人余の歌仲間が集い、献花するように各自の歌が一曲ずつ歌われ、午後二時半から八時過ぎまでロングランのコンサートがくりひろげられた。「高田渡さんの誕生会でぜひ歌いたいと思い、今朝大分から飛行機で飛んで来ました」と挨拶して、南こうせつが「神田川」を歌い、満杯の大ホールの観客を沸かせた。この催しは還暦の今回で終了するということで、打ち上げの飲み会にも大勢が集い深夜まで高田渡を偲ぶ会は盛りあがった。みんなと別れた後、京都から駆けつけた歌仲間と夜が明けるまで久いぶりに痛飲した。ああ今日(日)の午後には、またも大幅に遅れてしまった『街から』99号の校了があるなあ・・・と思いつつ。(『街から』99号編集後記)
日時: 2009年04月20日 17:26
