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草森紳一さん追悼ノート

草森紳一さん追悼ノート  (文・本間健彦)

☆新聞の朝刊を「死亡記事欄」から眼を通すようになったのはいつ頃からのことだろうか。新聞の死亡記事欄に掲載される人たちは斯界の著名人や各界で活躍された知名人だから、私などには無縁の方ばかりで、「あっ、この人亡くなったのか」と死亡記事を見てちょっと驚いたり何がしかの感慨を覚えたとしても、大半は新聞や雑誌やテレビなどでその名前や顔を知っていた人に過ぎない。にもかかわらず、「死亡記事欄」にまず眼を通すのは、私とは無縁の人だったにしても、同時代を生きて来た人の人生の終わり方というものが、どんな重大ニュースより目を引くことが少なくないからなのだ。
☆去る4月30日の日曜日の朝、いつものように朝刊の「死亡記事欄」にまず目を通した私は、そこで草森紳一さんの訃報に遭遇した。草森紳一さんについては、本誌83号(2006年7-8月号)で「われらの時代の<雑文豪>草森紳一の本を読もう」と題したインタビュー記事を書いているのでご記憶の読者もおられるだろう。その記事のなかでふれているけれど、草森さんとは、私が若い頃、雑誌『話の特集』や新宿のタウン誌『新宿プレイマップ』の編集者をしていたとき、「草森番」(草森さん担当の原稿取り)をつとめていたという間柄で、作家と編集者という関係だったのだが、同世代ということもあってその頃は友達感覚でお付き合いしていただいてきた。だが、近年はすっかり御無沙汰のしっぱなしで、あのインタビュー記事を書くために十数年ぶりにお会いしたのだった。それゆえ草森さんの訃報は、そんな私にとって、まさに遭遇だった。
☆朝日新聞の死亡記事には「20日、心不全で死去、70歳。通夜、葬儀は行わない」と記されており、東京新聞には「29日までに、心不全のため東京都江東区の自宅で死去」と報じられていた。いずれにせよ草森さんが死亡したのは20日以降で、前日の29日に発見されるまでの数日間、永代橋袂のマンションの自室で死の床にあったことになる。草森さんの自宅兼仕事部屋は7万冊余の万巻の書で立錐の余地もない有様だったというから、彼は書籍に埋もれて黄泉の国に旅立って逝ったのだろう。
☆草森さんの旧友で詩人の高橋睦郎さんは、5月21日付け東京新聞夕刊文化欄に「読む人 または書刑――草森紳一に」と題した追悼詩を寄せている。その一節を引かせてもらうとーー。

   食うための場所 寝るための空間など 
   書物に占領され 疾うに消え失せた 
   幾十幾百とない書物の塔の
   僅かな隙間(すきま)に 
   尻を置き 脚を抱いて 
   膝の上で読みつづける
   読んで夜もない 読みつづけて昼もない 
   読んで昨日もなく 読みやめず明日もない

と、書に殉じた草森紳一像を的確かつ鮮烈に謳っている。そして異能の友を、<書物を創出した人間を自覚し 自らに課する刑罰 書刑そのまま屈葬>と評し愛惜している。
☆草森紳一さんの死亡記事に遭遇した私は居た堪まれず、永代橋袂の彼のマンションを訪ねていた。部屋のドアが半開きしていて、狭い玄関先にまで書物が山積みされ、その一部が崩れ、居間への通路が本のトンネルと化している。半開きのドアの所まで崩れ落ちている数冊の本の上に女物の靴とハンドバックが置かれている。ドアの外に立っていた若い男に「どなたか部屋におられるのですか?」と訊ねると、「ええ、いま奥さんにゲラを探していただいているのです」と男は言った。どこかの編集者のようだった。「えっ、そういう女性(ひと)がいたのか・・・?」と、私はちょっと驚いたのだったが、そういうのも草森さんらしいなあ・・・、といくぶん重苦しい気分が晴れた。草森紳一さんは自分流の悦楽をこよなく愉しんだ人だったということを、ふと想い出したからだった。

                                 (2008年6月『街から』94号編集後記)

日時: 2008年06月13日 16:11

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