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ドキュメンタリー映画監督/佐藤真さんの死

ドキュメンタリー映画監督/佐藤真さんの死  (文・本間健彦)

☆ドキュメンタリー映画監督の佐藤真さんが、去る9月4日亡くなった。重い鬱病を発症して病院で加療中だったが、病室から抜け出し投身自殺を図ったのだという。享年49。15年前、『街から』創刊号に神田真理子さんが「<川の民>からの贈り物」と題したエッセイで、佐藤真監督のデビュー作品『阿賀に生きる』を紹介してくれたのが、佐藤さんの存在を知った最初だった。当時は北区に編集室があり、佐藤さんもその頃は北区に住んでいたので、時々お会いする機会があった。いつも優しい微笑を絶やさない人だったなあ、という印象がある。優しい微笑と優しい眼差しは、彼のドキュメンタリー映画を制作する基本的な視点でもあった。絵を描く障害を持った子供たちや大人たちをユーモラスに映像化した『まひるのほし』、難病を抱え36歳の若さで亡くなった写真家・牛腸茂雄の人物写真・風景写真を淡々と追うことで、夭折した若い写真家の人生を見事にクローズ・アップした『SELF AND OTHERS』、毎日の食事の残飯や魚の骨などを用いて無心に泥絵的なアートに取り組む障害を持った娘とその母親の日常を描いた『花子』など、佐藤監督の作品は、第一作の『阿賀に生きる』から一貫して優しい眼差しで、世の中の主流から取り残された人間を描いてきた。そういう手法で佐藤監督は、ドキュメンタリー映画の新しい地平を切り拓いてきたのである。けれども、生身の佐藤さんが、優しい微笑と優しい眼差しの内に抱えていた深い闇と怒りについても思いを致さないわけにはいかない。10年前、『街から』(第26号)に掲載した佐藤真監督のインタビュー記事の一節を紹介して、佐藤さんを偲び、御冥福を祈りたいと思う。

(2007年10月『街から』89号)

*佐藤真インタビュー記事の一節
佐藤 僕らの世代の東京っ子というのは高度成長の真っ只中に育ったせいか、いつも街が建設中だった、という感じをずっともってきた。そういうと何か希望のもてる時代に生きてきたみたいだけど、実際はしみったれた団地の片隅で少年時代を含めてずっと過してきた…(笑)いまおもえば、いつも建設中だった街というのは、いわば“マチ壊し”をしてたってことで、つまり“マチ殺し”だったんですね。
―― マチ壊し的な行為は、大都市だけでなく、水俣や、「阿賀に生きる」の舞台となった山村など地方の町や村にまで及んでいますね。
佐藤 そうですね。都市化社会の地方への波及により、地方が地方として成り立たなくなってきている。それも大問題です。
―― でも、「阿賀に生きる」の主人公たちのように、都市的なものに収奪され、傷つきながらも、まるで何事もなかったみたいに、自然のなかで悠々と生きている老人たちの姿はとても感動的でしたね。
佐藤 壊された街や村であっても、人はけなげに生きていくしかないんじゃないですか。
―― ならば、東京にも希望がもてますか?
佐藤 たぶん希望はもてないんじゃないかな。すごく雑駁な予測ですが、あと10年もたつと、東京は、文化だけじゃなく、政治や経済の分野でも、アジアのなかでの地位が落ち込んでいく、と僕は見ているんですね。

(1996年12月『街から』26号: インタビュー 佐藤真「東京私観」より)


日時: 2008年05月10日 11:48

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