大阪寺町のデンデケデケデケ
大阪寺町のデンデケデケデケ (文・本間健彦)
<生>の<祝福の場>を目指した
寺の文化施設
私も人並み(いや、以下かな?)に年に2~3回は墓参りをする。寺は文京区白山にある。家からは近いし、たまには線香の一本花一輪位あげたいひとの居る処だから、もっと足繁く行ってやるべきなのだろうが、なかなか行動が伴わない。寺の宗旨は何度も聴いているはずだけど、すぐに忘れてしまうので知らない。要するに信仰心が希薄なのだろう。
でも、寺の雰囲気は嫌いではない。ここを訪れるとどこか心が安らぐ。やっぱりどこかでここを終の住処と思っているからなのかどうか。都心の寺だから大きくはないが、木立や緑の多いのがいい。本堂横手にある墓地は周辺をマンションや木造アパートに囲まれているが、それゆえ淋しくないのもいい。
ただひとつ、気になることがある。これは我が家の墓のことではないのだが、時々よそ様の墓の向きが変わっていたり、墓が無くなっていることがあることだ。まさか墓が勝手に向きを変えたり、どこかへ転居するわけではあるまいから、何かの事情があってそういう事態も生じたのだろう。聞くところによると、墓というものは不動産物件ではないので、遺族が長い間墓参りに現れなかったりすると、寺の一存でそういう処分も受けるらしいから、そういうケースに該当するものなのかどうか。
人は死ぬと墓に入るものと思いこまされてきたので、人びとは住宅ローンをやっと払い終え、年金生活者になる頃には、今度は終の住処を求めてまたしても高い買い物をしなければならない。人間家業も御苦労様のものなのである。進歩的な人のなかには、葬式は無用、骨は海に撒いてくれ、と遺言する者もぼちぼち現れているようだけれど、こちらの方が案外真っ当なのかな、と思ったりもする。いずれにせよ、寺とわたしたちとの関係も大きな曲がり角に来ているのかも知れない。
柄にもなく寺のことなどについて御託を並べてしまったが、これにはワケがある。じつは先日、歌手の仲田修子さんが大阪の寺でライブをやるということで取材で同行したのだが、このとき会場となった、その寺の住職のことが心に残ったからなのだ。
会場となった大蓮寺は、大通り沿いに寺が軒を連ねている寺町の一軒。お寺でのライブと聞いていたので、ブルース好きの風狂な和尚が本堂でも解放して開くコンサートなのかなといった先入観を抱いていたら、そうではなかった。同寺の境内の一角に斬新なデザインのまだ真新しい建物があって、そこが会場の應典院ホールだった。玄関脇の掲示版に催しもののビラと一緒に半紙に書かれた「散る桜 残る桜も 散る桜」という良寛の句が貼られていたのが、わずかに寺のポリシーを感じさせるものだった。
この應典院ホールは、昨年の4月に開場しているそうで、ちょうど創立1周年を迎えたところ。建物内には、当日はライブ会場となっったメインホールのほかに、研修室、集会室、ギャラリーなどが併設されていて、演劇・コンサート・写真展・講演会・トークサロン・各種の市民文化活動・劇団の稽古場などに貸し出されるという。いわば寺経営の私設市民ホールといった施設なのだ。
寺の副業事業というと、従来は幼稚園とか駐車場、地主やマンションオーナーといったものが一般的だったので、つい皮肉な見方をしてしまい、これも新手の寺の副業事業なのかな、思ってしまったのだが、そんなケチな了見のものではなかった。この應典院ホールを開設した動機について、住職の秋田光彦さんは次のように語っている。
「寺という所は、信者が参詣する神聖な場所という概念ができてしまっているが、ここの利用者たちはほとんど仏教信者ではない。日本の寺には元々、寺小屋に代表されるような、地域の公共空間的な役割があったのだが、近代以降いつの間にかその機能をなくしてしまった。一方、現代の都市には会社とか学校とか商業施設いった日常空間ばかりが幅をきかせていて、寺院のような非日常空間が見失われつつある。
私はそういう観点から、都市生活者たちの<生>の<祝福の場>として存立するような、もうひとつの居場所を、こういう形で創ってみたかったのです。」
それからこんな言葉を付け加えることも忘れなかった。
「演劇やコンサートの会場としてここに集う宗教などを考えたこともない若い世代が、ついでに寺院のスピリチュアルな雰囲気にも魅力を感じてくれれば望外の喜びですね。」
このように熱い志を語ってくれた秋田さんは、若干38歳の若い住職だった。若い頃は坊主になる気などさらさらなく、東京の大学を出ると、情報誌の編集者を経て、独立系の映画製作グループでプロデユーサーの仕事に従事していたそうで、仏教大学に入り僧籍を得るのはその後のこと。そういうキャリアを聴くと、なんとなく秋田さんの意欲的な事業展開に納得がいく。
東京に帰ってから、文化座の『青春デンデケデケデケ』という芝居を観た。ベンチャーズやビートルズが登場し、日本の若者たちの間にもエレキ・ブームが起き、バンドを作る若者たちが激増していた時代の青春像をろっく・ミュージカル風に描いた愉快な芝居で、バンド・メンバーのひとりに寺の息子が出て来る。この住職の倅は仲間の1人にバンドのメンバーに入らないかと誘われると、「なんで何にも楽器の出来ない俺なんか誘うんだ?そうかお前ら、家の寺を練習所にしたいからだろう」そんなことはすっかり見抜いているぞと皮肉っているのだが、口とは裏腹に嬉々としてバンドに加わっている。そんな芝居を観ていて、なぜか秋田さんのことを思い出したのだった。
(1998年6月『街から』35号)
日時: 2008年04月29日 15:12
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