リース地獄脱出宣言
リース地獄脱出宣言 (文・本間健彦)
さらば、花咲か爺
いつの間にか、この点に関しては人並みに現代人になっていたようで、リースやローンで物を購入することがごく当たり前の話と思うようになっていた。わが編集室の事例がそのことを見事に物語っていて、編集機材のパソコン、プリンター、ファクシミリ、電話に至るまで全てリースで備えたものばかり。私事に関しても同然で、家はもちろんローンで建てたものだし、その他の比較的高額のモノは大方がローンやリースで手に入れたものばかりなのだ。
もし、ローンやリースがなかったら、購入することも使用することも間々成らないものばかりだと言っても過言ではない。自分の財布の金額では絶対に買えないものが、ローンやリースを組めば難なく入手でき使用できる。これがこの種の金融商品の手品的というか、麻薬的な魅力なのである。
それだけではない。リースのばあいは、希望すれば新製品に簡単に交換できるというアタラシモノ好きにはたまらない魅力も用意されている。車や電気製品は、年々歳々機能アップが図られ、それを売りにしてきた。とりわけパソコンなどのIT商品はバージョンアップが生命のように見做されてきたから、新製品を入手することは時代に乗り遅れないための必須条件に挙げられてきた。結論からいえば、そんなことは幻覚みたいなもので、覚めてみれば幻想に過ぎないのだが・・・。その時はすでに「後の祭り」なのだ。
もちろん、世の中には、冷静な人、手堅い会社も少なくない。そうではあるとしても、この現代社会でローンやリースに無縁というところは極めて少ないのではないか。最新の高性能の機器などには背をむけているつもりでも、機械というものは使用していればトラブルが付きものだし、寿命で壊れたりもする。修理を依頼すれば、安くない出張費や部品交換等の修理費が請求される。それゆえ保守管理費という名の保険にも入っておかなければならない。
修理の依頼をしたり、リース期間がようやく半分を過ぎた頃になると、セールスマンの電話や訪問が頻繁になる。「新機種に換えませんか?」という勧誘である。新機種が旧来型より(と言ってもほんの数年前の機種なのだが)いかに機能・性能が向上しているかを熱っぽく説明し、この新機種が現在のリース料に若干上乗せした価格で入手できますよ、と懸命に口説く。セールスマンはべつに詐欺師というわけではない。確かに説明の通りなのだから。ただし、リース終了期間は、また振り出しに戻り先延ばしになる。
リース商品の“買い替え”は、冷静に計算すれば、明らかに高い買い物なのだが、こちらはもうすっかり新製品の魅力にポーッとなっているから、現在のリース料とたいして月額の支払い額が変わらないのなら、まあいいか、と安易に判を押してしまうのだ。まるで現代版の「花咲か爺」にでもなったような気分で、こちらの方がホイホイと勝手に乗ってしまっているのである。
かくしてかつてバブルとはまるで縁がなく、したがってバブル時もそのはじけた後も一貫して貧乏だったわが編集室にも、なぜか常に小学1年生の金ぴかのランドセルみたいな各種の機具類が居並ぶという奇妙な事態が当然のように継続してきたのであった。敷衍するならば、これが、わたしたち現代人の「便利で快適な生活」が過ごせているからくりなのである。
だが、タネの仕掛けも無い手品は存在しないのだから、やがて手品に喜んでばかりもいられない時がやって来る。私の場合、それは次のような事態だった。編集室の移転を行った時のことだ。移転といっても建物内の移動なのだが、リース物件はあくまでも借り物なので勝手に動かすことは禁じられている。連絡すると早速セールスマンがやって来て電卓を叩き見積もりを提示した。見るとべらぼうに高い。「引越しでもないのに凄く高いねえ」私は愚痴を言った。「いい方法がありますよ。こちらの電話リースはもう2年経っていますよね。でしたら、新機種に換えたらいかがですか?御社はビジネスホンですから、パソコンもファックスも連動していますので、電話の新機種を入れてくだされば、まとめて移設費はサービスできるのですが…。」セールスマンは、さもこれは耳寄りな話ですよといった口調で勧誘してきた。これまでの私なら「じゃあ、そうするかな」と安易にその話に飛び付いたのだが、この時私は応じなかった。すでに私は近い将来リース生活から足を洗う決意を固めていたからである。その理由は他でもない。《自分はバブルとは無縁に生きてきたとおもってきたが、じつは私自身もちっぽけなバブル(泡)だったのだ!》ということに恥ずかしながら今頃気づき、深く反省し、遅まきながら《さらば、花咲か爺》宣言を、まず自らに課そうとしていたからだった。
けれども、実際はリースから決別できる状況ではなかった。いずれの機器もリース期間はあと数年残っている。カッコよく辞めるには、残額のリース料を一括返済し物件を返却しなければならない。言い値の移設料を払わなければ移設もできず、セールスマンの勧誘に乗ればリース期間はさらに伸び、墓場まで抜け出せなくなる無限地獄に落ちてしまう。つまり、外堀も内堀も埋められてしまっているのである。セールスマンはそういうこちらの窮状を知り抜いていて、慇懃に勧誘しているのだ。で、思わずカッとなってしまったのだろう。「新たなリースはもうしないよ。今リースしているものも、期間が終了したらもうリースは辞めるよ」私はそんな言わずもがなの宣言をしてしまったのである。
その時の若いセールスマンの目と表情がなんとも怖かった。《お前はテロリストか?ビンラーディンなのか?》といった憎悪の念を露わにして一瞬私を睨みつけたからだ。幸いなことに《まだ、こいつは顧客なのだ》とすぐに冷静になってくれたのか、報復は免れたので胸を撫で下ろしたのだが…。「では、どちらにするのか。ご検討ください」セールスマンはいつもの慇懃な態度に変わり、そんな捨て台詞を残し帰って行った。
この話には続きがあるのだが、今日のところはここまでにしておこう。
ところで、私は先日、アニエス・ヴァルダ監督の新作『落穂拾い』を観た。この映画はパリの街角や市場に捨てられた食糧や、農村で収穫後に捨てられたリンゴやぶどう、海辺の牡蠣の養殖場から逃げ出した牡蠣などを拾う、様々な人々を描いたドキュメンタリーで、近未来の黙示録を見ているような想いに駆られた。暗い、奇妙な生活が展開されているのだけれど、なぜかホッとするような、ぬくもりさえ感じる、そんな映画だった。
(2002年5月『街から』58号)
日時: 2008年04月29日 15:32
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